CSN&Yとガロとサカチン


プロローグ
CSN&Yとの出会い

1969年 春 土曜日 教室で友達二人が何か話している「?*+*?+‘ 」「{_?‘p+><?`」僕には全く何の話かわからない。すると「サカチンも一緒に行こ!」「うん・・・」

 僕は高校受験に何の心配もない刈上げ頭の優等生だった(兵庫方式という全国でもまれなほぼ内申書で合否が決まる)。去年はGSの影響でクラスの男子の大半が(25人中20人位)ギター(ガットギター)を学校へ持ってきていた。もちろん、ぼくは持っていなかった。どちらかというと軽蔑していた。そんな時、志望する高校の学園祭に先の友達二人と行ったのだが・・。そこで経験をしたことのない音楽を聴いた。デビュー間もない五つの赤い風船である。もうその日以来、虜になってしまった。それまでガットギターしか見たことの無い僕は西岡たかしの弾く赤のサンバーストのギブソンJ45をめちゃくちゃカッコいいと思った。(もちろん当時はギブソンとか知らないしサンバーストなんて日焼けか?っていうくらいのものだったしエレキギターは不良が持つものだと本気で思ってた)。その後、3000円のガットギターをやっと手に入れ同じクラスのN君にいろいろ教えてもらった。N君は「フォークギター」を持っていた。憧れのフォークギター、「いつかあのピックガードのついたギターを手にいれよう」と決心した。

 その頃の雑誌といえば新譜ジャーナルかガッツくらいのものだった。知っている曲を片っ端からコードをかき鳴らし歌っていた。ヤマハのライトミュージッククラブにも入会した。(ポプコンの前身のライトミュージックコンテストというのがあり優勝は赤い鳥、二位はオフコース、三位はチューリップといった面々の年もあった)赤い鳥の後藤夫妻(現 紙ふうせん)はその高校の先輩である。(‘77か78年、世界歌謡祭の近畿大会の審査員をした時に同席し緊張したことを今も覚えている。)
 高校にも無事進学しバスケットに夢中になりながら相変わらず五つの赤い風船を追いかけていた。二年生の夏休みに市民プールでアルバイトをし、あの‘71、中津川フォークジャンボリーに・・。その時のガロの印象は殆ど無い。今では凄く惜しいことをしたと・・。ただ「テースト、テースト!」とマイクのチェックをしていてキザな奴らやなぁと思った(関西人はそういうのが嫌いだった)。夏休みが終わり、五つの赤い風船の新譜が2枚同時に発売、もちろん買ったのだがバイト代もそこそこあったのでビートルズの写真集付きのLet it beも買い、もう一つ何かと思ったとき、音楽専科(いつもはミュージックライフだったが)‘71.6月号でトップになってたグランドファンクレイルロードのライブと4ウェイストリートのジャケットを比べると生ギター弾いてるみたいということだけで4ウェイを選んだ(凄い比較だが)。前日、念願のフォークギターも買っていた。Arai(現 aria)というメーカーの1万円のものを・・。

 10月まで4ウェイがターンテーブルにのることはなかったが、その日が来た。「何やコレ?」最初の印象である。しかし、我慢(他に聞くものが無かった)して聞くこと一週間、だんだんこれはっ?と思うようになりその日依頼、CSN&Y狂になってしまった。しかし、「どうやって弾いてるんやろ?全くわからん。そういえば、ライトミュージッククラブの会報に何か載ってたなぁ」何冊目かで見つかった。 {CSN&Yに学ぶ あこうすてぃっくぎたぁのイカシタ使い方}(何とも寒い題だが)チューニングが違う?またまた「何やそれ?」あれこれ考えるより記事のとおりに試してみると「やった!これや!」もう有頂天だった。その後、N 君やI君(N君を通じて知り合った)にCSN&Yのことを教えたのは僕だった。

秋もつかの間、冬休み前のある日、ラジオからCSN&Y風のギターとハーモニーが聞こえてきた。

PARTT 第1章 〜たんぽぽと暗い部屋〜へ

CSN&Yとガロとサカチン〜プロローグ

PARTT
第1章 たんぽぽと暗い部屋
 
第2章 美しすぎて
第3章 遠い春 第4章 涙はいらない

PARTU
第1章 学生街の喫茶店 第2章 個人的メッセージ

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