永遠のロックギター少年、Tommy Tommyとオールド・レスポール
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遥かなるギターの旅路

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永遠のロックギター少年、Tommy

一般に、ギター愛好家は自分の憧れのギタリストと同じギターを持ちたいものです。
それは全くそのままトミーにも当てはまりました。

1972年11月に発行された「スーパー・ロック・ギタリスト」という本に長いコメントを残していますが、その中でエリック・クラプトン、スティーヴン・スティルス、ポール・コゾフ、レズリー・ウエスト、デュアン・オールマンetc.を、好きなギタリストとして挙げています。
ここで彼が愛用していたギターを思い起こしてみると、それぞれが彼の好きなギタリストの愛機だった事に気づきます。
1959(8?)年製レスポールJr.はレズリー・ウエスト(マウンテン)、マーチンD-45はスティーヴン・スティルスとニール・ヤング、1959年型レスポールスタンダードはポール・コゾフとデュアン・オールマンを筆頭とするブルーズ・ギタリスト達…と、そのギター少年振りはとても身近で、なにか微笑ましいものですね。
しかし、ここまでならどこにでもいる凡百のギター小僧ですが、ここから先がトミーの類稀なる才能を物語っています。前出の本の一部を抜粋してご紹介しましょう。

「ポール・コゾフくらいギブソンのレスポール・オリジナルが似合うギタリストはいないだろう。彼がかつていたフリーは、インストゥルメンタルとしてはクリームと同じ3人編成だったが、3人の場合、ギターはサイドとリードの両方やらなくてはいけないが、彼の場合は、この点におけるコードの押え方、響きを実によく研究していた。(これはアンディ・フレイザーのベースとのコンビネーションなしにはあり得ないが)」

1972年はフリーが最初の解散をした直後、この時期にポール・コゾフの独特なプレイスタイル(未だ全貌は明らかになっていない)と、ベースのアンディ・フレイザーとのコンビネーションにまで気づく程の耳を持ち、分析研究をしていたのは凄い事です。
およそ10年後、これと全く同じ事をトミーは3人編成であるMAMA DOOにおいて再現する事になります。
1972年には既に自己のサウンド作りに明確なヴィジョンがあったという事でしょうか。

個人的に言えば、このコメントが、後にどれだけ私のギタープレイに多大な影響を及ぼした事か…。またこの一文が、トミーと同じくフリー/コゾフの熱狂的ファンだった私にとって、トミーを敬愛し、信頼するきっかけとなったのでした。当時新進気鋭のフォークグループ(という認識でした)GAROのギタリストトミーは、この時から既に正統的であり独創性を持ったロックギタリストだったのです。
義之さんは「元々がベンチャーズとGSから始まった人で洋楽好きだから、フォークやってるって意識は兄貴には全くなかったね。」と語ってくれました。

このようにギター少年トミーは有能なプレイング・アナリストでもあったのですが、ロック・ギタリストとして自分のスタイルを煮詰めていく過程で、最もフィットすると思えたのがブルーズ系の英国のギタリスト達だったようです。エリック・クラプトンを源流とするこの流派の象徴は、1959年型レスポールスタンダードとマーシャルアンプ…。義之さんのいろんな思い出話を総合し、彼の愛聴していたレコードなどを辿っていくと、フリー(ポール・コゾフ)、バッド・カンパニー(ミック・ラルフス)、ハンブル・パイ(スティーヴ・マリオット、ピーター・フランプトン、デイヴ・クレムソン)、フォリナー(ミック・ジョーンズ)、マウンテン(レズリー・ウエスト)、ZZトップ(ビリー・ギボンズ)…といったバンドが挙げられます。そのいずれもがレスポールをメインギターとして愛用しているギタリストのいるバンドです。ストラトキャスターには全く執着せず、レスポールだけを追求したトミーは、ギタリストとしての自己を、このハードロック・ギタリスト達の流派の中に置いたのです。


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