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ごま's DIARY

毎日!…が目標(^^ゞの、徒然日記! 好き勝手に書かせて頂きます!(;^_^A


何と年記…(;^_^A(;^_^A(;^_^A
  Date: 2004-10-04 (Mon)

いや、もう、何をか言わんや状態である。
日記が週記、月記どころか、年記状態…
もう、愛読してくださっていた数少ない奇特な方もいい加減見捨てられたことと思う。
本当に心苦しく思っている。ごめんなさい。

形ばかりの「日記」を書いていない間、公私に渡り本当に色々なことがあった。
仕事の窮地… 友の暖かさ… 愛鳥の脱走… 旅先で出合った詐欺や感動…
もう、まさしく波瀾万丈でここのネタになりそうなことばかりなのだが…。
日記は「私」的なものだが、それを「公」にしていることの難しさに直面し、暫くキーを叩くことが恐くなった時期もあった。

ま、機会があれば追々そんなことも書くことにして、これからはマイペースで適当にいかせて頂きます。(^^ゞ
また、よろしくお願いいたします。m(_ _)m

秋田の旅 その2
  Date: 2003-11-09 (Sun)

今回からはざっと、旅の行程をなぞってみたいと思う。
11月1日の0時に出発。
愛車「ぱさごん」に母、嫁さんと私、そして、ジュディと実家のマーク、そしてルーフキャリーに満載の荷物とおみやげを乗せ、東北自動車道をひた走った。
今回はいつも「ドライバー」の嫁さんが、事もあろうかこの夏の終わりに湾岸自動車道でオービスを光らせ、何と3ヶ月の免停中…
必然的に全行程のドライバーは私になってしまった。(;^_^A

もう一台のワゴン車には嫁さんの実家の義父、義母夫妻、そして、義姉の3人… 合わせて、人間6人、犬2匹の道中である。
取り敢えず、最初の目的地、田沢湖への出口、盛岡IC近くのSAを待ち合わせ場所として、各々のペースでの移動となった。
私の車は犬たちの「用足し」のため、義父たちの車に比べ、何度もサービスエリアに寄る必要があるため、少し急ぎ目(…とはいっても母も犬も同乗しているので、いつもよりは遅め)で高速を走らせた。
お昼ぐらいの田沢湖到着を目指していたが、道路状況も天気も非常に順調で快調に飛ばせ、明け方には盛岡に到着、田沢湖に朝の8時頃着いてしまった。

まだ殆ど観光客も見当たらない早朝の田沢湖は、快晴無風温暖という信じられないような好天の中、静かに横たわっていた。
周りの山はまさに今が見頃の燃えるような紅葉に囲まれ、その水は澄み渡ったコバルトブルー…
赤、黄、茶、それらのグラデーションの紅葉… 真っ青な空… コバルトブルーの湖面… それらの対比が息を飲むほど美しかった。
あんなに美しい紅葉を見るのは初めての経験だった。

私たちが車を停めたその湖畔は湖面まで下りることが出来た。
もちろん、犬たちも一緒に降りたのだが、水となったらうちのジュディが黙っているはずもない。(;^_^A
徹夜の移動で殆ど寝ていないであろう疲れもなんのその!
早速、その日本一深いという湖の中にジャボジャボ入っていて、スイスイ泳ぎ始めた。(^^;;;
それを見たマークも始めは恐る恐る、そのうち一緒になって泳ぎだした。
覚悟はしていたし、澄み渡った綺麗な水なので、好きなだけ遊ばせた。
彼らのお陰で、徹夜での運転の疲れも忘れ、歓声や笑い声が飛び交う楽しい時間を過ごした。
母は自分の犬(マーク)が泳ぐのを初めて見たため、内心ハラハラしていたようだが…(;^_^A
この場所ではスチールと動画を撮ったので、近々ご紹介します! (…まだ続く)

秋田の旅 その1
  Date: 2003-11-04 (Tue)

矢口高雄という著名なコミック作家がいる。
代表作はあの「釣りキチ三平」である。
私の大好きな作家の一人だ。

彼はその作品の数多くに、彼自身の故郷、秋田の山村を舞台とさせる。
その作品のひとつに「おらが村」という長編読み切りがある。
私の愛読書(?)のひとつだ。

話は逸れるが、いまだに「漫画は低俗、小説は高尚…」といった考え方が在る。とんでもない考えだと思う。
小説だって下らない低俗なものは多々あるし、漫画だって素晴らしい感動を与えてくれるものが沢山ある。

話しを戻そう。
その作品に出てくる山村が横手盆地に実在する村(現在は町)が彼の生まれ故郷なのだが、同じ盆地にあり、その地とさほど離れていないのが今回の義母の実家だった。
既に義母のご両親、そして、数年前まで共に住んでいた義母の義兄は他界し、子供たちは各々独立し家を出て、義母の姉、つまり私にとっては義伯母(?)が独りで家を守っていた。

七十余歳になるその義伯母は長年の辛い農作業の影響か、まだまだそんな歳ではないのに、腰が曲がってしまい、膝も痛めており、座っていることが多かったが、暖かく私たちを迎えてくれた。
「通訳が必要だよ!」と嫁から言われていたその方言も、もちろん分からない部分もあったが、話の内容は聞き取れるほどのものだった。
比較的近年増改築され、思いの外近代的な家屋の窓からは、既に豪雪に備えての「雪囲い」が見えた。

一晩に1メートル近くの大雪が降ることも珍しくない、日本有数の豪雪地帯…
そのコミックからは、その豪雪、厳しい農作業、不便な暮らしに耐え、たくましく生きる秋田の農家の日常生活が、彼特有の緻密な描写と、「人」を見る暖かな目と共に描かれているのだが、現代のその「町」は、前出の家屋も含め、想像以上に近代的だった。

心尽くしの手料理…
いわゆる「贅沢なもの」ではなかった。
が、それら全てが本当の意味で、私たちには「贅沢なもの」だった。

例えば、ふろふき大根に付けたネギ味噌。
味噌は手作りで、その味噌の旨味とネギの苦みと辛みが絶妙だった。

例えば、キノコご飯。
地元で採れた天然のナメコ(市販のものよりずっと大きい)がふんだんに入り、美味しい「あきたこまち」の新米と併せて絶品だった。

例えば、漬け物。
「がっこ」と呼ばれるそれは、絶妙の塩加減と新鮮な野菜だけが持つ甘味と不自然な化学調味料ではない旨味…

そして、極めつけはハタハタ…
その漫画にも登場し、どうしても食べたいと以前から思ってはいた。
しかし、嫁から現在は殆ど獲れなくなり、地元でも食べられなくなったと聞かされていた。
そういう彼女も、若い頃戻った時の一度か二度くらいしか食べたことがないと言う。私はあきらめていた。
そのハタハタを義伯母は特別に頼んでいてくれたのだった。
もちろん「ぶりこ」と方言で呼ばれる卵が沢山詰まった雌のそれである。
焼きたてをかぶりついた。
ししゃもを大きくして濃厚にしたような味、そして、ぶりこは一粒が大きく、全体でしっかり固まって、噛むとその一粒一粒から魚の卵の旨味が飛び出してきた。
それを二匹もご馳走になった。


たった一晩…
それも、明けた朝、朝食を頂いて、すぐに帰路につくという短い滞在だった。
もっともっと彼女と話しがしたかった。
…と言うよりも、彼女の話しを聞きたかった。

別れ際、玄関の外まで見送りに出てくれた彼女に深々と頭を下げ、お世話になったお礼を言った。
自然と手を握った。暖かで、今まで生きてきた深い年輪を感じる手だった。強く握り返してくれた。

山間の道を運転しながら、熱いものが込み上げてきた。
近いうち…。出来ればこの冬にも、もう一度お邪魔したいと思った。

本業のサイト…
  Date: 2003-10-31 (Fri)

今日もウェブサイトの話しをさせて欲しい。

昨日も書いたように、私はいくつかのサイトを管理しているが、今日は本業のサイトのことを…

このサイトに最近「業務日誌」と名付けた、私も含めた塾の講師たちが自由に(とは言っても原則的には教育に関して…)書くコラムを作成した。
順番が回ってくるのは週1回で私は金曜日担当なのだが、今日の金曜日、先程書き終えた。

零細学習塾のため、そんなに読む人がいるとも思えないが、一生懸命書いている。
本当はこっちの日記に書きたいこともあるのだが…。
今日書いたものなどは、そのひとつである。

このページのホームの下部にリンクバナーがあるので、よろしかったら、お読み頂きたい。

もうひとつのサイト…
  Date: 2003-10-30 (Thu)

前回ウェブサイトについて書いたが、今回も…

私は現在4つのウェブサイトを管理している。
本業副業、このプライベートサイト、そしてある過去の音楽バンドのファンサイトである。

忙しさにかこつけて、そのファンサイトの更新を、比較的手軽に出来る「メンバー表」の更新を除いて(それだって、2週間に1度程度…(;^_^A)ここ1年ほど殆ど更新しなかった。
その間にも、数十件のコラムへの投稿がファンの方々からあったのに、ずっと延び延びになっていた。
いい加減これじゃいけない…と思い立ち、昨夜から今日未明に掛けて更新したのだが…。

ある女性が立ち上げ、創立時から参加していた私は数ヶ月後にそこの管理を任された。
もちろん、喜んで引き継がせていただいたのだが、最近、少し煮詰まり気味である。

当時は正直、嬉しくて嬉しくて、掲示板への書込にも一人一人丁寧にレスしたし、投稿があったなら、その日のうちにUPしたものだった。
その掲示板にも多くの仲間が集い、ファンページであるにもかかわらず、そのバンド以外の話しで大いに盛り上がったりもした。
みな、飢えているように語り、笑った。(掲示板上だが…)
でも最近、その頃の仲間は、極一部を除き、殆ど書き込まなくなってしまった。
良いとか悪いとかの問題ではなく、その頃の多くのメンバーは私も含めて自分のHPを持ち、その頃その掲示板上でしか話せなかったのが、今、自分の掲示板上で話すことが出来るようになった。

新しい人が来て、以前と同じような話題が提供され、そして消えて…
ここのところずっと、それを繰り返しているような気がする。
無い物ねだりの仕方のないことなのだろうが、あの創設から1年間くらいのワクワクするような楽しさは無くなってしまった。
あの頃は、旅行先のヨーロッパからも必死でネットに繋げ、BBSのレスやチャットにまで参加(!)したものだ。

このままではいけない…。
もう少し、そのサイトにも今後、力を入れていこうと思っている。
そしてその後、どなたかに管理人業務をバトンタッチさせていただきたい。
自分の責任は果たしてから…。そう考えている。

ウェブデザイン
  Date: 2003-10-25 (Sat)

最近、このHPのロゴやデザインを大きく変えてみた。
別にHPに限らないだろうが、作成した当時は、『これでOK!』と思っていたものも、月日が経過し、トレンドも変わり、作成する側の「テクニック」も上がる(?)につれ、古くさく見えてくるものなのだ。

最近の傾向として、多くのHPがフラッシュなどの動画を多用している。
私もこれを身に付けたいと思うが、特別なソフトが必要なので未だ手を付けられずにいる。
また、フレームがなくなってきているか、あってもスクロールバーを付けないページが多くなっている。
これは、「すっきり感」をそぐ大きな要因なので、そうなるのも分かる気がする。
そして、フォントが小さくなってきている。
「遠視」(;^_^Aの私には小さな文字は辛いところだが、確かに「同じスペースにより多くの情報量を…」という実質的な部分以外の「見た目」の部分でも、余り大きな文字が並んでいるのは恰好がよろしくない。
さらに、あまり「壁紙」を使わなくなってきているようだ。
私も元々ごてごてしたものは好きではないが、大手会社サイトなどでは、まず見掛けない。

ほんの数年前はまさか自分がHPを作成するとは思っていなかったが、こうしてリニューアルまでしている。
ここしばらく何となくHPから遠ざかっていたが、また以前のような楽しさを感じている自分がいる。

大事件 後編
  Date: 2003-10-17 (Fri)

途方に暮れる嫁さんに会い、取り乱している彼女から事の一部始終を聞いている最中、私たちの側を自転車で通り掛かった初老の男性が、自転車を止め、何か言いたそうにこちらを見ていた。
私は予感がして、すぐに尋ねた。
「大きな犬を見掛けませんでしたか?」
「見たよ!小学校の方を走ってた!」
「どんな犬でしたか?」
「茶色の大きいの…」
間違いない!!
私たちは心からお礼を言い、二手に分かれて小学校の方に走った。

その小学校は私たちのマンションのすぐ近くであった。
前回お話しした、ジュディがパニック状態で横切った車通りの激しい道路をまた渡らなくてはならない。最悪のことを考えていた。考えながら、名前を叫びながら、走った。
『ジュディが… ジュディが交通事故に遭ったら…』『ジュディがいなくなる。ジュディが死んでしまう。』
リードが繋ぎっぱなし状態になっていることも気になった。車に巻き込まれたり、何かに絡み付いて脱出出来なかったり…。
「ジュディ!! ジュディ!!」何度も何度も叫びながら走った。
マンションの自転車置き場の横を走りすぎようとした時、やっと『自転車を使おう!』と気付き、自転車置き場から取り出し、鍵(4桁の数字を押すタイプ)を解くのももどかしく、飛び乗った。
時間が経てば経つほど、遠くに行ってしまい、見付からなくなる可能性が増える。そして、事故に遭う可能性も…。
私は強迫観念に駆り立てられるように、無我夢中で自転車をこぎ、彼女の名前を叫んだ。

後で思えば、短パンTシャツ姿でずぶ濡れになりながら自転車に乗り、訳の分からない外人女性の名前を叫んでいる私は、第三者からどう映っていたのだろうか…。

「すみません。茶色い大きな犬を見掛けませんでしたか?」
道路ですれ違う人、追い越す人、全ての人に尋ねた。手掛かりはなかった。
親切な男性の情報に出て来た学校に着いた。雨の校庭には人影もなく、ジュディの姿も見えなかった。
正門の方に回った。
そこにいた数人の小学生にも聞いた。異口同音に、皆知らないと答えた。
冷たく答える人… 変質者でも見るような目をする人… とても親身になって答えてくれる人… 励ましてくれる人…
今更ながら、色々な人がいる。こんな中でも、人の温かさに触れることが出来ると、とても嬉しかった。

学校の周りのブロックをいくつか道を変えて4周ほど探し回った。時間的には30分前後だっただろうか。
その間、手掛かりさえも全く得られなかった。
嫁さんに会いたかった。彼女はどうしているのだろう。彼女は見付けたかも知れない。携帯を置いてきたことを悔やんだ。
マンションに戻ろうかと思った。しかし、その時間が命取りにならないと誰が言えようか。
彼女の方が見付けたなら、私を捜して声を掛けてくれると思い直し、川沿いのいつもの散歩道に戻ってみようと、また彼女の名前を呼びながらマンションの前を通り掛かったその時…
マンションの建物の上から私を呼ぶ嫁さんの声がした。

「いたよーっ!! ここにいるっ!!」


急いでエレベーターに飛び乗り、6階の部屋の扉を開けると、そこにはボロボロ涙をこぼしながらジュディの身体を拭いている彼女と、濡れた身体を拭いてもらっているジュディがそこにいた。確かに、そこにいた。
嫁さんは泣きながらジュディに謝っていた。
ジュディは放心状態のようだったが、私を認めると、弱々しく尻尾も振ってくれた。

私は嫁さんが用意してくれたバスタオルを受け取り、ずぶ濡れの自分の身体を拭きながら、涙ながらの彼女から説明を聞いた。

彼女もなかなか見付からず、色々と探し回ったという。
いつも行くスーパー、散歩道…
私に声を掛ける数分前、マンションの裏を通り掛かると、いつも私たちが出入りしている裏口付近に人が数人、何かを囲むようにたたずんでいるのを見掛けた。
急いで近付いてみると、その中心にジュディがいたのだという。
その人たちは同じマンションの住人で、心配してジュディに声を掛けてくれていたのだった。
ジュディは自分で… 自分独りで、いつも出入りするマンションの入り口まで帰って来て、私たちを待つように、そこにうずくまっていたのだった。


事故に遭っていないか、怪我はしていないか、彼女の全身を調べた。
後ろ脚の爪の部分から出血をしていたが、大したことはなかった。
きっと、パニックになって走った際に傷付いたのだろう。

濡れて冷えてしまったジュディの身体を暖めるように、彼女をシャンプーした。
その頃にはいつもの甘えん坊の彼女に戻って来ていた。
彼女の全身を洗いながら、彼女が今ここにいる幸運…、いつものように彼女に触れながらシャンプーしている幸運を神に感謝した。
いるのが当たり前のようになっている私の家族…
嫁さん、ジュディ、鳥さんたち…
みんな、みんな、掛け替えのない私の家族なのだ。

シャワーを終え、ジュディとバスルームから出ると、窓の外はバケツをひっくり返したような豪雨が降っていた。

大事件 前編
  Date: 2003-10-16 (Thu)

この月曜日の体育の日、結果的には事なきを得たのだが、我が家でとんでもないことが起きた。
その休日、久し振りに私たち夫婦は特に予定もなく、休日にしては比較的に早起きをして、コーヒーを飲みながらゆっくりしていた。
ずっと怠っていたHPの更新を彼女が手伝ってくれるというので、席を並べ説明をしながらジュディのページの写真を整理し、トリミングし…といった一連の作業を共同でしていた。
どのくらいたっただろうか。一段落して時間を見ると正午を過ぎていた。
『お腹が空いたね…』とどちらからともなく切り出し、嫁さんが近くのテイクアウト専門の弁当屋に行くことになった。ボクたちの傍らにいたゴールデンRのジュディも彼女が出掛けるのを察知してそわそわし出し、当然のようにジュディも一緒に連れて行くことになった。
午前中から雲行きが怪しかったのだが、彼女が出掛けてすぐに、ポツポツと降り出してしまった。
彼女は出掛けようとして雨が振りだしたことに気付き一旦戻って来て、「洗濯物取り込んでおいて!」とだけ私に告げ、小雨の中、再びジュディと出ていった。
ちょっとした雨…、いや、かなりの雨の中でも、ジュディは散歩するのが大好きなのだ。
しばらくすると家の電話が鳴った。彼女からだと思った。時間的にそのお店に着いた頃だった。メニューの確認かなんかだと思った。
そして、やはり彼女からだった。

電話の彼女は異常に慌てていた。何を言ってるのか分からないくらいのパニック状態だった。
「ジュディが、ジュディが!!」
彼女の声の様子から、ただ事ではないことはすぐに理解した。不吉な予感がした。交通事故に遭ったと思った。痛いほど胸騒ぎがした。
「×××××(何を言っているのか分からない)に驚いて、いなくなっちゃったの! すぐ来て!!」
「今どこ!?」「×××××の裏!!」「え?分からないよ!ゆっくり話して!!」
「だから、パッパ・パスタの裏だってば!!」
「分かった!すぐ行く!!」

私は家の中では10月中旬だというのに短パンTシャツ姿でいることが多い。その日も当然その格好でサンダルをつっかけて、私は家を飛びだした。

その日は幸いにも妙に暖かかった。そんな薄衣でも寒くは感じなかった。
雨がだんだん本降りになって来ていた。傘を持ってくる余裕なんかなかった。
距離にしておよそ300メートル。髪から滴が垂れるようになり、手で顔を拭いながら走った。
走りながら思い出していた。
ほんの少し前まで、ジュディがくつろいでいる同じ部屋で彼女の写真を選び、皆笑顔と優しさに包まれていたことを…

その川沿いの道は、ジュディとのいつもの散歩道だった。
彼女が側にいるような気がして、名前を叫びながら走った。
足が痛くなった。自転車を使えば良かったと後悔した。
遠くに、同じように傘もささずにいる嫁さんが見えた。足を速めた。

殆ど泣きべそ状態の彼女から慌てて説明された事の顛末はこうだった。
弁当屋に着き、ジュディのリードを繋ごうとしたとき、雨も降っていたので、彼女が濡れないように建物の横の軒下にある脚立に繋ぎ、店に入った。
注文しようとしたら、「ガッシャン!」と大きな音がして外を見たら、ジュディが倒れてきた脚立に驚き、一目散に目の前の道路(車の通りが激しい)を横切り、丁度通って来た車に急ブレーキを掛けさせ、パッパ・パスタというイタリア料理屋の方に走っていった。すぐに追い掛けたが、見失ってしまった。

ジュディの名誉のためにも付け加えるが、彼女は何もないのに逃げるような犬では絶対にない。
いつもそうなのだが、スーパーやコンビニの外のポールなどにリードを繋いで待たせ、買い物から戻ると、伏せて大人しく待っている。
後で考えたのだが、恐らくその時もそうだったのだろう。…が、脚立がいけなかった。
伏せようとする時、それ程長いリードではないので、当然その脚立を引っぱる形になる。そして、アルミ製のその軽い脚立は、ジュディにとっては事もあろうか、彼女の方に向かって、大きな音を立てて倒れてきた…
そう、彼女に大声を上げながら襲ってきたのだった。(…続く)

名古屋「味の旅」(^^ゞ 最終章
  Date: 2003-10-13 (Mon)

かなり時間が経過してしまい、今さら…といった感もあるが「最終章」である。

鳥友達のみぃさんご夫婦宅に2.5泊(?)させて頂き、お別れした後、今度は音楽友達のKさん宅にお邪魔した。
折角名古屋に来たので、帰京する前に寄らせて頂いてから…という訳である。
このKさん、ご主人とそろって料理がバカウマ!
素人にしておくにはもったいない程の腕前なのである。
過去に何度かお邪魔し、Kさんご夫妻のアットホームな人柄と相まって、大ファンの私なのだ。
絶品揃いの中で特にお気に入りが酢豚!
これも地域性なのかどうかは分からないが、関東で食べる酢豚はほとんど…と言うか、私の経験では全てが、とろみのある甘酢で味付けしてある。が、Kさんたちが作るそれは、醤油と酢ベースのとろみの無いものである。
甘酢は時としてしつこく感じることがあるが、こちらの酢豚はもっとストレートで美味い!!
かりっと揚がったお肉に細かく刻んだ長ネギをたっぷりのせて、いくらでも食べられる美味しさなのだ!!

旅の楽しみは色々ある。
素晴らしい自然だったり、情緒ある街並みだったり、人々との交流だったり…
私の場合、それらももちろんだが、食べ物も大きなファクターの一つである。
今回はその「食べ物」もとても充実していて、大満足のお盆休みだった。

Kさん宅では他の音楽仲間も集まり、ジュディ、れな、むぅも一緒にとても楽しい時間を過ごし、帰路についた。

名古屋「味の旅」(^^ゞ その3
  Date: 2003-09-06 (Sat)

「ひつまぶし」の次は「手羽先の唐揚げ」であるが、時間的に、その前に取った昼食について話したい。

関東の郊外にもよく見られる、ホームセンターや大型衣料店などが集まった、大型集合ショッピングセンター内にある、スーパー内のイートインコーナーで昼食を取った。
普段、関東で私はこういった場所で食事をする気に絶対になれない。
メニューを見ても、食べている人たちを見ても、どう見ても美味しそうには見えないし、とても落ち着いて食事が出来る雰囲気ではないからである。
だから正直、みぃさん達にその場所を誘われた時、あまり気乗りがしなかった。
『ま、昼食だし、お腹がふくれればいいか!』ぐらいの気持ちで行ったのだが、これが嬉しい方に期待が裏切られた。

食べたのは「もち天うどん」という、おもちの天ぷらと野菜の天ぷらがトッピングされた、関東で言う「冷やしうどん」なのだが、これが美味い!!
天ぷらは揚げたてだし、おもちの天ぷらは初めて食べたが美味しいし、うどんがこれまた、シコシコのツルツル♪
関東では絶対にこういった店で、このうどんは食べられない! そのボリュームと同時に、本当に驚いた。
サイドオーダーの「天むす」と合わせて、大満足の昼食だった。

そして、その夜は手羽先の唐揚げ!
これは、都内にも有名な鳥専門チェーン店があり、何度か食べたことがあった。そして、大の手羽先の唐揚げファンでなのである。
恐らく、その店も名古屋から派生したのだろうから、その本場のものが食べたかった。

今回連れて行って貰ったのは有名な「F」である。
相当期待して行ったのだが、その期待を裏切られることはなかった。
他の料理も試したが、やっぱり手羽先の唐揚げがぴかいちの絶品♪(^o^)
味付けも微妙で、これ以上薄ければ物足りなくて、これ以上濃ければしつこくなるギリギリの線!
これだけでお腹一杯にすべきだったとちょっと後悔した。
これでビールを飲んだら美味しいんだろうなぁ〜!(;^_^A
飲めないボクはウーロン茶を飲みました!(^^;;;(…まだ続く)

名古屋「味の旅」(^^ゞ その2
  Date: 2003-09-05 (Fri)

…てな訳で、今までサボってたせめてもの罪滅ぼしに、もう一本、行きます!(^^ゞ

いよいよ題名の「味の旅」の話しをしよう。
名古屋で以前より食べてみたかったものがあったので、みぃさんたちに無理を言って、連れて行ってもらった。
その食べてみたかったものとは「ひつまぶし」と「手羽先の唐揚げ」である。
ひつまぶしは、あの有名なテレビゲーム、桃鉄の名古屋駅にも「ひつまぶし屋」と言う物件があり、とても気になっていた。

正直に告白すると「ひまつぶし屋(暇潰し屋)」と勝手に読んでおり、何が何だか分からなかったのだが…(苦笑)
『マンガ喫茶かネットカフェみたいなもの? 居心地の良いソファがあって、ぼーと暇を潰せるお店? 名古屋人はそんなに暇を潰せる場所がないの?』などと空想していた。(爆笑)
それが食べ物で、何たるかを正確に知ったのは、あの日テレ系人気番組の「どっちの料理ショー」でだったのはボクだけだろうか…(;^_^A

話しを戻そう!
さて、そのひつまぶしだが、結論から言えば、バカうま! 大いに気に入った!!
私の経験では、関東で普通にある鰻丼や鰻重よりずっと美味しい!!

ご存じない方のために説明するが、ご飯が三膳ぐらい入る「お櫃(ひつ)」の中に、関東のそれよりも皮をパリッと香ばしく焼いたウナギの蒲焼きを短冊状に切ったものが、「これでもか!」ってなぐらいたっぷり混ざったご飯が入っており、しゃもじでお茶碗に取って食するものである。
お薦めに従い、一膳目は普通に、二膳目はねぎやわさび、海苔などの薬味を乗せて、そして、三膳目がお茶漬けにして楽しんだのだが、美味いの美味くないのって!!
特にお茶漬けが絶品である!
断言する!ウナギの食べ方で一番美味しいのはこのひつまぶしである!!
どうして関東にひつまぶしのお店が一般化しないのだろう?
どなたか関東にある、美味しいひつまぶし屋さんをご存知でしたら、是非教えてください!!m(_ _)m(…続く)

名古屋「味の旅」(^^ゞ その1
  Date: 2003-09-05 (Fri)

1ヶ月間以上、この日記をサボってしまいました。
読んで下さっている方には本当に申し訳なく思っています。
もちろん、「忙中おのずから閑あり」で、いくら忙しいとは言っても、日記を書く時間さえもこの間全く無かった…と言ったら嘘になります。でも、日記を書く「心の余裕」が無かったのは事実です。
何とかペースを取り戻し、公私とも改善の方向に動いてきたので、再開したいと思います。
よろしくお願いします。m(_ _)m

さて、この間、日記に書くことが何もなかったはずもなく、実に色々なことがあった。
地獄の夏期講習への突入。毎年恒例のデスマッチ、夏期高原教室。お盆休みを利用しての名古屋「味の旅」…。
今日は、この名古屋「味の旅」について書きたいと思う。

デスマッチ・夏期高原教室も終わり、「社会復帰」のために疲れた身体を1日だけ休めて、その深夜、愛犬ジュディ、愛鳥れな&むぅ、そして新築プレゼントの大きな観葉植物と身の回りの荷物を愛車パサゴンに押し詰めて、自宅を出発した。
目的地は愛知県の名古屋近郊の、ボクのHPにも時々遊びに来てくれる「みぃさん」ご夫婦のお宅だ。
彼女らはこの夏、注文一戸建てを新築したばかりで、その新築祝いも兼ねてお邪魔した。
中央高速を(ある友人からのアドバイスに従い(;^_^A)いつもよりはスローペースで「飛ばし」、ジュディのために時々SAやPAで休憩しながら、5時間ほどで到着した。
彼女とは鳥繋がり友人だが、実はボクと同じく犬も好きで、「皐(さつき)ちゃん」と言う、名前からも容易に想像出来るように、この5月生のシベリアン・ハスキーの牝の幼犬を新築に合わせて迎えたばかりだった。
この生後3ヶ月余りの皐ちゃんが、かわいい、かわいい。
あの有名なコミック、「動物のお医者さん」の「ちょび」を引き合いに出すまでもなく、ハスキーの幼犬は、ちっちゃいくせにあの顔で、しかもおてんばで、元気、元気!(;^_^A
ジュディも大喜びで、2匹で遊ぶ、遊ぶ!!(;^_^A(;^_^A
深夜に到着したにもかかわらず、到着したとたんに意気投合して大騒ぎだった。
聞けば、近所にはなかなか遊んでくれる相手がいないとのこと。
でも、ジュディは1年ほど「お姉さん」なのに、もうほとんど同級生状態!(^^;;;
2匹とも疲れを知らずに、ずっと取っ組み合ったり追い掛け合ったり…
しかも、新築の部屋の中で…( ;^^)ヘ
…と言うわけで、何度私たちがブレークさせ、つかの間の平穏を取り戻させたことか…(^^;;;

二日目の午後に訪れた、ものすごく広い公園(名前は忘れた!(^^ゞ)で撮った写真です!
皐ちゃんのジュディを見つめる目がかわゆい♪(*^^*)



しかし、皐ちゃんもジュディも取っ組み合い、咬み合うが、それが決して「ゲーム」の域を超えないのはさすがだと思った。
そのままにしておけば、お互いずっと2匹で行動を共にしようとするし、本当に「仲良し」なのだ。
3泊して帰る時、2匹を引き離すのが忍びなかった。(…続く)

神戸
  Date: 2003-07-23 (Wed)

…というか、ライブ会場は西宮市なのだが、泊まったところも神戸なので!

今回のライブもとても楽しかった!
2年続いたライブ翌日のUSJには今年は行かなかったが、前日入りして泊まったホテルがとても快適なところだった。
外資系の某有名ホテルだが、海の近くにあり、部屋からは六甲山を背景とする神戸の街々の明かりがとても美しかった。
ボクはホテルの部屋の窓から、ぼーと外を眺めるのが大好きだ。
嫁さんが眠ってしまった後に夜景を…、そして、いつもより早起きをしてルームサービスのコーヒーを飲みながら朝の景色を独り眺めるのが旅の大きな楽しみの一つなのだ。

神戸の街はとても魅力的だった。
山があり、その山沿いには多くの家やマンションが建ち並び、その麓には高層ビルが建ち並ぶ都会があり、それが海に繋がり…。
ある意味、都会の理想的な佇まいを見せていた。

去年の神戸から今年の神戸まで、色々なことがあった。
ONでもOFFでも…。
辛いこと、苦しいこと、不安なこと、悲しいことがいつもより沢山あった気がする。
もちろん楽しいこと、嬉しいこともあったのだが…。

あれから1年…。長いような短いような…。
こんな事を書くと、余計なご心配を掛けるかも知れないが「死」というものを意識したこともあった。
でも、ボクは生きている。

不安と重圧に押し潰されそうになることもあるが、でもこれからも生きていく。
そしてまた、この街を訪れたい。
そして、仲間とまた楽しい時間を過ごしたい。

Gで始まる2曲…(;^_^A
  Date: 2003-07-17 (Thu)

まだまだ先だと思っていたら、今週末に迫ってしまった毎年恒例の神戸ライブ!
今回は新レパートリーを4曲ほど仕込んでいく予定なのだが、その中の2曲がボク的には非常に手強い…(;^_^A
両方とも歌い出しがGで始まるスローバラードの曲なのだが、この2曲、コード進行が複雑で、しかも何となく似てて何となく違うという、互いにやっかいな曲なのである。
メインの歌は両者とも他のメンバーが歌い、ボクはコーラスをつけるのだが、このコーラスも難しい…。
自分のパートだけ歌ってると、どう聞いても調子っぱずれにしか聞こえない。

お尻に火が点くまで実行に移さない悪癖のボクなのだが、さすがにヤバイと思い、ここのところ寝る前と起きてから連日連夜、こわれたレコードのように反復練習をしている。
…のだが、『よっしゃぁ〜!覚えたぞぉ〜!!』と思って仕上げにもう一度やるとゴッチャになって間違える…(T.T)
カンペーは見ないのがボク等のバンドの「主義」(?)なので、何とか完璧に暗記…というか、身体が覚えるまで頑張らなくては…(;^_^A
こんなんで、あと3日後の当日は大丈夫なのだろうか…(^^;;;

ダイエットその後…(^^;;;
  Date: 2003-06-12 (Thu)

ちょこのことは一区切り付けよう。
決して忘れてしまった訳ではないのだが、いつまでもくよくよしてても、彼女が喜んでくれるはずもない。
彼女の死を無駄にしないためにも、前向きに、今いる子たちを大切にしていきたい。
多くの方々からご心配をいただき、BBSの書込のみならず、DM、お電話を頂戴した。
嬉しかった。
こんなに心優しい素敵な人たちに囲まれていて、私は幸せだ。
ありがとうございました。

んで! 表題の「オールブランダイエット」その後だが…(;^_^A

結論から言えば、何と体重が約4.5キロ軽くなった!
ま、もともとかなりウエイト・オーバーだったので、この程度じゃ見た目の違いはほとんど無いが、されど4.5キロである!
勝手に設定した当初の目標値まで後3.5キロである。

現在はオールブランは食べやすいフレークタイプの方に変え、1日おきくらい昼食に食べている。
夜は嫁さんお薦めの「低インシュリンダイエット」の本に掲載されているレシピ通りの食事を摂っている。
たまの外食でも以前のようなバカ食いはせず、間食は全くなし!

徐々にではあるがそれなりの効果も出てきてるので、このまましばらく続けてみようと思う。
さて、7月のライブまでにお腹は引っ込むのか???(;^_^A(;^_^A

別れ
  Date: 2003-05-30 (Fri)

本日、午前中にちょこを埋葬してきました。
去年逝去した父、幼くして逝ってしまった兄、そして、一昨年亡くなったコバタンのりこ、オカメの初代ちょこが眠る場所に…

玉石をかき分け、穴を掘る間、初代ちょこの声が聞こえてきました。
『ボクの後で同じ「ちょこ」って名前を付ける時、パパ、使ってもいいかボクに聞きに来てくれたよね? その時パパ、その子を大切に育てるからボクの名前使わせてね…って言ってたのに…』

初代ちょこにも、動かない二代目ちょこにも謝りました… 心から謝りました。


ちょこの羽根はきれいなきれいなパールでした。
動かない身体、閉じた目以外はいつものちょこでした。
口をつぼめて「ぴぴぴぴ!」と鳴らすと、ちょっと怒ったように「ぴぴぴぴぴぴぴゅー!」と鳴き返していたちょこでした。
丁度身体が入るくらいに掘った穴に置き、周りに花を敷き詰めた後、「ぴぴぴぴ…」と言ってみました。何も言わないちょこにまた泣きました。謝りました。


ニュースでは無責任な親の事件が絶えません。
炎天下に子供を車内に独りにしてパチンコに興じる… 家に残し、旅行に行き餓死させる… 折檻、虐待をし死なせてしまう…
私はそういうニュースを聞く度に心底憤り、呆れ、軽蔑してきました。

私とどこが違うのでしょう。私も同類です。

ちょこを失わなければ、こんな事にも気付かない自分が情けないです。
代償としては大きすぎる、重すぎる彼女の命でした。


掌を合わせ、父にちょこたちのことをお願いし、りこと初代ちょこに一緒に遊んでくれるよう頼み、最後にちょこに、再度謝りました。

具合が悪いのを気付いてあげられなくてごめんなさい。
きっと、無念だったろうね。パパとママを信じてくれていただろうに…。
本当に、本当にごめんなさい。
パパもママもいつかちょこのところに行くから、もし、その時許してくれていたなら、また一緒に遊ぼうね。
それまで、りことちょこ兄ちゃんと、おじいちゃんとパパのお兄ちゃんと楽しく暮らしててね。
ちょっとの間だけ… またね、ちょこ…

懺悔
  Date: 2003-05-27 (Tue)

それは、小学生英語の授業中だった。
私の授業の声を遮るように、携帯の着信音が教室に鳴り響いた。
ドゥービーブラザーズの軽快な着メロに、教室内の子供たちの間に笑い声が湧いたが、私は笑えなかった。
ディスプレーを見ると、見慣れない番号だった。胸騒ぎがした。
子供たちに一言謝り、慌てて教室を退出し、受信ボタンを押した。
違うことを祈ったが、今朝聞いた小鳥の病院の女医さんの声だった。
「残念ながら、お力になれませんでした…」



日曜日の夜、毎日そうするように4つの鳥たちのケージにセットしてある餌と水を入れ替えた。
このルーティンワークは妻がそれらを外し洗い、私が拭き、新しい餌を入れるのが常だった。
うちのケージはそれらを外すには、扉を開けなくてはならい。
オカメが4羽いるケージの一番人懐っこいちょこは、その際、必ずと言っていいほど手に乗ってきて、外に出たいとアピールする。
その日、私はその様子を見てはいなかったが、餌入れ、水入れを持ってきた妻の肩にはいつものように彼女が乗っていた。
異変は妻が気付いた。
「何かちょこ、元気がないみたい…」
見ると、彼女の可愛さを象徴するまん丸でいきいきと輝く目ではなく、閉じ気味で辛そうにしばつかせていた。
直ぐに異常を察した私たちは、病気の時のための小さなケージに隔離し、電球で28度前後に温度管理をしながら暖めて様子を見た。
しばらくすると、少し元気になったような気がした。
足元にばらまいた餌を食べようとしたが、食べられなかったようだった。
妻がその位置を食べ易いところに変えようとケージに手を入れたら、手に乗ってきた。
しかし、糞は鳥の危篤状態を示す、鮮緑の液体だった。

次の日、早朝から仕事のある妻を寝かせ、私は未明まで様子を見た。
ちょこは目を瞑り、眠ったり起きたりを繰り返していた。
あれ以降、餌を食べようともせず、暖かな電球のそばにじっとしていた。
様態の変化はないように感じた。
私は2、3時間ほどの仮眠を取り、起きて直ぐ様子を見に行った。
既に妻は出勤した後であった。
同じだった。

行き付けの鳥の病院は車で小一時間掛かる距離だった。
連れて行く途中、すっと28度に温度管理をするのは難しい。
はるかに近い、住まいと同市内にも鳥専門の動物病院があることを、私は知っていた。
そこに連れて行くことにした。

小さなキャリアにタオルのハンカチを敷き、彼女を入れ、保温のためバスタオルでくるんだ。
15分ほどで病院に到着した。
開院少し前に到着したが、既に先客がいたため、30分ほど待たなくてはならなかった。
時間がもどかしいほど長く感じた。
膝の上にキャリアを置き、両手で抱え、ちょこに話し掛けながら回復を祈った。

やっと私の番になった。
いくつかの問診に、いつから具合が悪くなったか?と尋ねられた。
「昨日の夜からです。」私は答えた。
触診に入り、キャリアから出すためにちょこを握った先生は開口一番に言った。
「具合が悪くなったのは昨日今日じゃないわよ!」
先生に指摘され、ちょこの胸骨を見た。痩せて、尖っていた。
「ガリガリじゃない!最近、体重はいつ測りましたか?」



懺悔する。ちょこへのせめてもの償いのために懺悔する。
今のマンションに引っ越してくる前、最低でも二週間に一度は全ての鳥たちの体重を計測していた。
それが、こちらに来てから… おそらく、一度程度しか測っていない。もう、二年近くの間に…

そればかりじゃない。
あの頃当然のように毎日必ず替えていたケージの敷き紙も、ひどい時には一週間に一度だけ。
当然のように毎日必ず与えていた青菜も切らしている方が長いまでになってしまっていた。
ベテラン気取りでホームページに小鳥について蘊蓄をたれている私の実態はこうなのだ。



返答に窮している私を無視して、彼女は強制給餌の準備を始めた。
手際よく乳鉢でパウダーフードを溶きビタミンを加え、そ嚢に直接給餌をした。
強制給餌を受け、ちょこは少し元気になった気がした。目の輝きにも生気が宿ったような気がした。
かすかながら、希望の光を彼女の目に見た気がした。

日に二度ほどの強制給餌が必要なので、私は迷わずちょこを入院させることにした。
先生は私の携帯の番号を聞き、「容態が凄く良いか悪いかの時にしか電話はしませんので、時々会いに来てあげて下さいね。」と言った。
言われるまでもなく、夕方、授業の合間にまた来るつもりだった。
それが、「お見舞い」ではなく、「お迎え」になろうとは…


ちょこを預け、家に戻り、猛省の気持ちで一杯になりながら、彼女のいたケージの敷き紙を取り替えようとして愕然とした。
そこには、あの緑色の液体の乾いた跡が無数に残っていた。
確か、これを替えたのは二日前の土曜日…
少なくともその頃から、ちょこは苦しんでいたのだった。
このケージに戻って来たら、もう二度とこんな可哀相な目には遭わせない… そう心に誓った。
誓ったのだが…



「お迎えにはいついらっしゃいますか?」
「これから直ぐ伺います」

幸いにも授業は終わる寸前だった。
子供たちに悟られないよう、必死に取り繕い、授業を締めて、車に飛び乗った。
ちょこに謝った。声を出して何度も何度も謝った。涙が後から後から溢れ出てきた。悔恨の気持ちで胸が締め付けられ、痛く苦しかった。
病院までどう運転して、どう行ったのかはっきりとは覚えていない。
扉を開けると、「お見舞い」をするために合流するはずだった泣き顔の妻、先生、そして診察台の上に白い箱があった。
傍らの線香からは煙が立ちのぼっていた。
箱の中を見るのがいやだった。悪い夢を見ていると思った。

でも、白い紙箱の中にちょこはいた。
先生の心づくしの花が周りに敷かれていた。枕もされていた。
横になって目を閉じ、眠っていた。 動かなかった。

大好きだった首元を撫でながら、謝ることしか出来なかった。
妻と二人で声を上げて泣いた。


────────────────────────

この事を記せば、鳥を…、いや、鳥だけでなく、コンパニオンアニマルを愛する全ての人たちのみならず、これを読んだほとんどの人たちから軽蔑されてしまうことは分かっている。
正直、隠したい気持ちもあった。
しかし、ちょこのためにも、罪を告白し、懺悔しなくてはならない。
そして、深く悔い改め、彼女の死を無駄にしないためにも、残っている子たちを大切にしていかなくては…。
冷たくなった彼女を両手に抱え、彼女の亡きがらにそう誓った。

ダイエット(;^_^A
  Date: 2003-05-17 (Sat)

愛犬「ジュディ」のコーナーに記したが、ジュディのダイエットは大成功!今ではスマートになり、草原などでリードを外してやると、ぴょんぴょんと軽くなった身体が楽しそうに飛び跳ねるように走っている。そんな彼女を見ていると、私も嬉しくなる。

…が…

飼い主(この言葉は好きではないのだが…)の方はどうだろう…(;^_^A
昨年毎晩嫁さんとやっていたウォーキングも、冬を迎え寒くなり、いつのまにかやらなくなってしまった。
アブトロニックもブルワーカーと一緒に押入の中に…

7月にはライブもある…
先日、お風呂にはいる時、脱衣所の洗面鏡に映った自分の醜い上半身…
このままじゃいけない… このままじゃ人前で歌えない…

んで、ダイエットを敢行することにした!!

最近、嫁さんが外で働きだして、朝早い彼女は当然寝るのも早くなった。独り起きていてもつまらないので、私もつられるように早く寝るようになった。
私の仕事は変わらないので、当然、夕食はかなり遅い。
具体的には夕食が11時前後で就寝が0時前後…
で、脂っこい物好きの私は毎晩トンカツや生姜焼きなど肉ばかり…
ご飯も最低1膳半…
運動と言えば、ジュディと一緒に自転車で走るだけ…
これで太らない人がいたら、教えて欲しい…(;^_^A

この食生活で痩せるための運動をするとしたら、1時間やそこらのウォーキングでは追い付かないだろう。
毎日、数時間のジョギングやテニスでも出来れば別だろうが、そんな根性は残念ながら持ち合わせていない。

と言う訳で、とにかく食事から変えようと考えた。
思い立ったが吉日と言うことで、昨日から「オールブラン」というシリアルと野菜サラダ、野菜ジュース、ブラックコーヒー、ノンシュガーのお茶しか口にしていない。

このオールブラン…
見掛けが、現在鳥たちに与えている「ペレット」と呼ばれるバードフードにそっくりなのだが、巷で言われているほど不味くはない。
何と言っても食物繊維の含有量が半端ではないらしく、胃腸にも良いし、満腹感も持続すると言うことだ。
まだ昨日食べ始めたばかりなので断言は出来ないが、確かに空腹感が襲ってくるまでには、パンや麺類などに比べると時間が掛かるようである。仕事中にちょっと眩暈がするが、これだけ肥えていれば少しぐらい栄養不足でも大丈夫だろう。不足なら全身に付着した分厚い「栄養」を使ってくれるようになることを願っている。
あまり体調が悪いようなら再考するが、取り敢えず頑張ってみようと思っている。

今後、経過をレポートします!
万が一、数週間レポートがなかったら、挫折したと思ってください。(^^;;;
アドバイスなどございましたら是非掲示板へお願いします!!

旧友
  Date: 2003-05-16 (Fri)

ご存知の方も多いと思うが、私は学習塾を開校する以前、テレビ番組制作関係の仕事をしていた。
そこで共に仕事をしていた仲間の極一部を除きほとんどは疎遠になってしまい、およそ20年間全く連絡を取っていなかった。
その業界にいたおよそ10年間のある時期、あるテレビ・映画製作会社にお世話になっていたことがあった。その会社は私の退社後、解散したと風の便りに聞いていた。
都心の高速道路沿いのとある場所にその会社はあったのだが、退社後のある日、高速で通り掛かった時、そのビルがカラオケに変わっていた時はショックだった。

その会社の社長はその頃から映画を愛し、今タイトルを言えば皆さんもご存知の様な、有名で良質な映画のプロデューサーであった。
そして、そのご子息が私が入社後程なくしてその会社に入社し、共にテレビ番組制作の仕事をしたのだった。
彼は「社長の息子」ということを全く鼻に掛けず、フレンドリーで明るいキャラクター、謙虚で頑張り屋で、スタッフみんなから愛称で呼ばれ、とても愛されていた。もちろん私も大好きで、公私共々懇意にさせて頂いていた。

その会社の社長さん、そしてご子息は今どうしているのだろう…
ふとそう思い、社長さんの名前でインターネットで検索をかけてみた。
すると、何件かヒットした中に、懐かしい彼らの名前が出て来たのだった。

その社長さんは既に新しい映画製作会社を興され、そのご子息も共に働いていた。
探し当てたネットのその会社のHPには電話番号と共にファックス番号も書かれていたので、失礼とは承知ながら、そのご子息宛にファックスを送ってみた。

翌日、すぐに電話を頂いた。
ちょっとしたすれ違いでその電話を取ることは出来なかったのだが、留守番電話に懐かしい彼の声が録音されていた。あの頃と、声、話し方までちっとも変わっていなかった。

折り返し私も会社の方に電話を入れさせて頂き、お話しすることが出来た。
本当に懐かしかった。あの頃の彼そのままだった。
あれから20年以上…
彼も色々あったらしい。私も色々あった。


近いうちの再会を約束し、受話器を置いた。

一周忌
  Date: 2003-05-06 (Tue)

光陰矢のごとしと言うが、早いもので父が逝去してからもう一年が過ぎてしまった。
「早い…」と記したが、何だか遠い昔の様な気もするし、あっという間の様な気もするし、不思議な感覚だ。

法要の前日、妻と愛犬と墓を訪れ、玉砂利の雑草を抜き取りながら、父に話し掛けた。
気難しく、いつも小言ばかりの彼だったが、今の私にも色々と文句を付けたいのだろうな…と思い、苦笑してしまった。
傍らに眠る愛鳥のりこと初代ちょこの面倒も再度お願いした。
きっと迷惑な顔をし、ブツブツ言いながらも彼らと遊んでくれていることと思う。

墓の両脇に植えた、姉が父の生前、お見舞いのおみやげに持ってきた肥後椿の苗木もしっかり根付いてくれた。
初夏を思わせる太陽の下、その苗木に水を遣り、静かに手を合わせた。

日本一!!
  Date: 2003-04-22 (Tue)

日本警察犬協会主催の年に一度の大きな大会、「第57回日本チャンピオン決定審査会」に於いて、うちのジュディが「幼犬大牝組」(生後9ヶ月以上12ヶ月未満)の部で見事日本一である「日本チャンピオン」を獲得した!
日本警察犬協会HP内のここをご覧頂きたい!
彼女の血統書には「アリス オブ エクセレント アルファ」という大げさな名前が付いているが、その名前と私の名前がご確認頂けると思う。(^^ゞ
前回の日記で書いたように、以前より多くの関係者からジュディについてお褒めの言葉を頂いていたが、半信半疑だった。
でも、これでそれが事実だと完全に実証された。
自分のことの様に、いや、それ以上にもの凄く嬉しい!
もの凄く嬉しいのだが、ちょっと淋しい気もする。
何だか、ジュディが遠くに行ってしまった様な…そんな感じなのだ。ご理解頂けるだろうか。

とは言え、ボク等にとっては「アリス」ではなく紛れもなく「ジュディ」だし、これからもそうではあるのだが…

ただ、この受賞後、ブリーダーのSさんからこう言われた。
「これで、これからしっかりと育てる責任が土屋さんにはありますからね。太らせたりしたら絶対にダメですよ!」
(;^_^A(;^_^A(;^_^A
真の意味での「日本チャンピオン」は成犬の部(2歳以上)で獲得してこそなのだそうだ。
それに向けて、健康に育てて行かなくては…(;^_^A

てな訳で、受賞後のジュディの晴れ姿(?)です!!(*^^*)
大きくなったでしょ?(^-^)
何か、風格を感じる…と言ったら親バカかな?(^^ゞ


ジュディのコンテスト♪
  Date: 2003-04-18 (Fri)

嫌な話題で終わっているので、明るくて楽しい話題を…♪

実は今までお話しをしなかったが、うちの愛犬ジュディ@ゴールデンリトリバーは過去3回ほどコンテストに出場したことがある。
ジュディを求めた知り合いのブリーダーさんの強い勧めがあったからだ。
最初のコンテストは去年の晩秋、宮城県の仙台市で行われた。
その際、ジュディを見る関係者の目が皆真剣で好意的なのには驚いた。
以前からブリーダーさんから「この仔は凄くいい犬だから…」と言われてはいたが、社交辞令が多分に含まれていると考えていたので、これほど多くの方々から注目される犬なのだとは正直思っていなかった。
そして審査の結果、見事幼犬クラスの北日本プリンセス(チャンピオン)に選ばれたのだった!

その後、埼玉県で行われた大会でも東日本チャンピオンに選ばれたが、その後少し太ってしまい、そのせいで(審査員にハッキリそう言われた…(;^_^A)千葉県の野田で行われた大会では2位になってしまった。

冬の期間コンテストはなく、その間、嫁さんと私で、ほぼ毎日運動をさせ、食事もコントロールし、最近大夫スリムになってきた。(…と思う)
そして、明日19日(土)は江戸川の河川敷の東京側で、年に一度の大きな大会である「日本チャンピオン審査会」が開催され、ジュディもエントリーしている。

毎回そうなのだが、運動会の親バカよろしく、ビデオカメラを持ち、デジカメを首から下げて、ジュディを追いかけ回している。
このGW辺りには当HPに写真と動画をUPしようと考えている。
明日も「撮影班」頑張るから、ジュディもガンバレよ♪(^-^)
皆さん、応援よろしくです♪ U^ェ^U ワン♪

呆れたオヤジ
  Date: 2003-04-13 (Sun)

昨日、直接私ではないが、私の妻に「どんでもない災難」が降り掛かった。

昨日は土曜日であった。
土曜の私の仕事は6時からのスタッフミーティングに始まるが、彼女は4時からの「キッズクラブ」と呼んでいる小学生クラスから始まる。
そのため、彼女の方が2時間ほど早く自転車で家を出るのだが、昨日は雨… そのため、歩いて(30分程度)家を出た。
思えば、私が送れば良かったのだが…

妻が家を出てから数十分が経過した後、家の電話が鳴った。彼女からだった。
冷静さを失っている興奮した声だった。
話を要約すると…

妻はヘッドホンで音楽を聴きながら、狭い道の左側を塾へと歩いていた。
突然、右手に何かが当たった。
車だった。後ろから来た黒色の4WDのフェンダー部に右手の甲が当たったのだった。
「痛い!!」と声をあげたら、その車の助手席側のウインドウが開き、50過ぎの男が何と「お前が避けないから悪いんだ!ヘッドフォンなんかで音楽聴いてるからだ!!」と罵声を浴びせてきた。

お断りしておくが、彼女はいくらヘッドホンとはいえ、周りの音が全く聞こえないような非常識な大音量では絶対に音楽を聴かない。
彼女のプレイヤーを借りて聴くと、いつも物足りなくてボリュームを上げてしまうぐらいの音量である。

彼女もそこで折れるような女性ではない…と言うか、こんな不条理に怒るのは当然であろう。
「ぶつかっといて、謝りなさいよ!クラクションを鳴らしてくれたら気が付いたのに!」
すると、この馬鹿男、車から降りてきて、「やるかぁ?ぶっ殺してやる!」「このババァ!」(彼女はまだ20代です。彼女の名誉と念のため…)と手を彼女に対して振り上げ、殴りかかろうとした。
彼女は持っていた開いたままの傘をかざして必死に避けようとした。
さらに、あろうことか蹴りを入れようとし、再び傘で避けたが、その傘は殴打と蹴りのため折れ、ボロボロに壊れてしまった。
そして、怖くなって逃げたのだという。
幸いなことは、最初に当たった手の甲も殆ど無傷で、その男の攻撃も上手くかわし、全く妻の身体に当たらなかったことである。

私はその話を電話で聞き、直ぐに警察に電話するように命じた。
そして、慌てて身支度をし、家を車で出た。

到着した時、妻は涙目になっていた。
直ぐに慰め、車に乗るように言った。傍らにはポッキリと折れ、ボロボロになった傘があった。
警察の到着を待った。

車のナンバーは分からないと言う。
せめて車種だけでもと問うたが、黒の4WDタイプとしか分からないらしい。
無理もない…
車には比較的詳しい彼女だが、そんな恐怖の中、冷静にナンバーを読みとり、覚えていられる人の方が稀であろう。

重苦しい雰囲気の中、時間が長く感じた。
30分ほど経っただろうか、警察の車が次々に4台もやってきた。
警官も10名ほどいただろうか。
一生懸命彼女は自分の身に降り掛かった災難を彼らに説明し、私も隣でそれをフォローした。
警察官達もその男の所業に呆れて言った。
「これは交通事故じゃなく、刑事事件ですね…」
全くその通りである。

小雨の中、現場検証をし、交番に異動して被害届を出し、塾に向かった。もちろん、彼女の仕事の時間には間に合わなかったが、他の先生がフォローしてくれていた。

「黒の4WD」というだけでは、それこそ雲を掴むような話しであろう。警察が捜査に動いてくれることは期待出来ない。
しかし、その現場の道は、かなり周辺の事情に詳しい地元の人でなければ、絶対に使わない道である。従って、その周辺に住んでいる可能性が大である。彼女も車とその男の顔を見たなら絶対に分かるという。
昨日も交番に向かう途中、周囲の駐車場などを見回ったが見付けられなかった。時間を見て周辺を捜索し、必ず見付け出して警察に突き出してやろうと考えている。
絶対に許せない!!
5、60歳と言えば、もういい加減分別ぐらい備わっているのが当然なのに、何という人間なのだろうか…
こんなオヤジが存在していること自体、信じられない。

心底、嫌な一日であった。

YES!
  Date: 2003-04-09 (Wed)

私は新聞を取っていない。
以前は普通紙とスポーツ紙をとっていたのだが、節約のため半年ほど前にやめた。ネットでニュースはリアルタイムで見られるので、何の不便も感じていない。

で、そのネット新聞でSARSのため、サンタナの日本公演が延期になったとのニュースを知った。
その時、『そう言えば、YESは日本に来ないのかな…?』と今思えば呑気に思った。
仕事場のスタンバイを終えた後で少し時間があったので、そのサンタナのプロモーターである「ウドー音楽事務所」のページを検索して見てみた…(!)ら、ビックリ!
YESは2月に来日予定だったのが、リーダーのジョン・アンダーソンの骨折(?)で9月に延期になっていた。
これでファンなのだから、笑ってしまう。(^^ゞ
で、その9月の東京公演のチケットが取れるのかどうか、ダメもとでそのHPの案内通りにやってみたら…(!)
あれよあれよという間にS席2枚、取れてしまった!(;^_^A

去年のポール・マッカートニーに続いて、今年はYES!!
今から、とても楽しみだ!!
(でも、付き合わされる嫁さんは迷惑だろうなぁ〜(;^_^A)

送迎
  Date: 2003-04-08 (Tue)

世の中、不景気と言われて久しい。
塾業界も例外ではなく、厳しい戦いを強いられている。
もちろん少子化も影響している。
私の塾最寄りの団地は日本住宅公団の比較的大きなものだが、築後20年以上を経過し、オープン当初は若いカップルやその子供も存在したが、今やその子供たちも成人し、高齢者が目立つ活気のない団地になってしまった。

そこで、少しでも広い地域の子供たちを集めようと、今期より表題のように車による「送迎」を取り入れてみた。
送迎とは言っても、新しく車両を導入するほどの資金も当然なく、私の愛車「ぱさごん」を、マグネットシートで両側面に塾名と電話番号を入れ、にわか送迎車に仕立てての送迎である。もちろん運転手は私である。
迎えからもどってすぐその子たちに授業を施し、終わればすぐに送り届ける…。目の回るような忙しさだ。
3月から開始し、現在5名の塾生が、それがあるからとの理由で入塾した。これが多いか少ないかはもう少し時間がたたないと分からないが、でも、やる価値はあったのではないかと思う。
生き残っていくために、やれることはやっていかないと…(;^_^A

- Sun Board -