二代目ちょこへの手紙

ちょこへ

キミと出会う少し前、パパはキミと同じ名前のWF・シナモンのオカメインコを突然失って、打ちひしがれていました。
仕事場ででさえも、その子の事を想い出しては泣いていました。
その子は、ママよりもずっと、ずっと、パパに懐いていました。
キミも知ってる通り、他の子たちはみんなママ派だったのに…
だから、余計に辛くて哀しくて…

そんなパパを見るに見かねて、ママはパパに内緒でペットショップに出掛けたんです。
その子に似た子はいないかと、ママは一生懸命探してくれました。
何軒目かのあるショップに、キミがいてくれたんです。

ママは直ぐにパパに電話をくれました。
その時、新しい子を迎えるつもりなんかパパは全然なかったけれど、嬉しかったです。
ママのその優しい気持ちが、とても嬉しかったです。
そして、その翌日、関東に大雪が降った日、キミを見に行きました。
キミはまだ挿し餌をして貰っていて、そんな他のひなたちと一緒にいましたね。
ちょこお兄ちゃんとは羽根の色や柄は違っていたけれど、とてもかわいくて、キレイでした。
手に取らせてもらい、首を撫でたら、キミはうっとりと気持ちよさそうにしてましたね。
パパはすぐ、キミを新しい家族に迎えようと決心しました。

でも、その日は大雪でとても寒い日でした。
外に出して連れて帰るのはキミも寒いだろうと思い、お店に予約して、確か2日後に迎えに行きました。
その時のこと、パパは一生忘れません。
お店のドアを開けて正面のケースにいたキミは、パパとママを見付けると、大きく羽を広げて、バタバタして、『あ!パパとママだ!出して、出して!!』と言ってるかのように、大騒ぎでした。
これは運命の出会いだとパパとママは思っていました。

ちょこと言う名前を付けること、とても悩みました。
亡くなったちょこにもキミにも失礼なような気がして…
でも、あの時のガラスケースのキミの歓迎ぶりは、ちょこの生まれ変わりのような気がしました。
お墓に行って、ちょこお兄ちゃんにお願いしました。
キミの名前を使わせてね… 大切にするから… って…

お迎えしてすぐ、あまり挿し餌を食べないキミに心配して、すぐに病院に行きましたね。
先生に挿し餌をしてもらったら、急にものすごく食欲旺盛に食べて…
ひなから育てるのはもう4羽目だったからベテランのつもりでいたけど、キミに教わりました。

キミはどんどん成長して、とても人懐っこくて、笑顔としあわせをパパとママに沢山くれましたね。
ギターを弾いていると、弾いている手、腕、ギターのボディ、ヘッドとちょこまかちょこまか動きまわって…
ちょこお兄ちゃんとそっくりで、やっぱり、ちょこお兄ちゃんの生まれ変わりだと思いました。
早くして亡くなったちょこお兄ちゃんの分まで長生きして欲しいと思っていました。

キミが家族になった年の秋、お引越をしましたね。
狭い部屋から眺めの良い広い部屋に移って…
だけど、パパは今はこう思います。
キミは前の家の方が、楽しくてしあわせだったんじゃないかと…

あの頃は、パパもママもうちにいる時間が長くて、たくさん、たくさん、キミと遊びましたね。
写真も一杯撮りました。
でも、こっちに引っ越してきてから、あまり遊んであげなかった…
写真もあれからほとんど撮れませんでした。
ごめんなさい…

ちょこ…
言い訳になっちゃうけど、聞いて下さい。
あの頃からパパのお父さんの具合が悪くなって、パパもママもとても忙しくなりました。
そんな中、パパの仕事にも色々なことがあって、とてもとても疲れていました。
色々なことに追われて、苦しくて、心にゆとりが無くなっていました。
ママも外に朝早くからお仕事に行かなくちゃならなくなって、夜も疲れちゃって、キミとあまり遊んであげられなくなっていました。
キミの後に、むぅ、さつき、ここあ、そしてジュディも家族になりました。
たくさん時間があった時はみんなと楽しく、たくさん遊べたんだけど…
キミはつまらなかったよね。
ごめんね。本当にごめんね。

でも、まさかキミがこんなに早くいなくなってしまうなんて…
今でも朝起きると悪い夢だったんじゃないかと思います。
でも、かごを見るとキミはいません。


ちょこ…
もう、キミの名前は決して使いません。
もう、当分新しい鳥さんはお迎えしないつもりです。
キミがいなくなったことはパパとママへのメッセージだと思っています。
どんな事情があったにせよ、ちゃんとお世話することが出来なくなるなんて、最低だと思います。
キミがいなくなるまでそんなことも分からなかったパパとママをどうか許して下さい。

今はりこお姉ちゃんとちょこお兄ちゃん、そしてパパのお父さんと一緒に天国で遊んでいることと思います。
パパがそっちに行った時には、お願いだから、仲間に入れてね。
そしてまた、「ぴぴぴぴぴゅう〜!」って鳴いてね。

ちょこ、ごめんなさい。
いくら謝っても謝り足りないけれど、この気持ちを絶対に忘れないで、家族を全力で守っていきます。
だから、許してね… ちょこ…



2003年6月21日 パパより
以下はちょこのために、そして、これからのために、彼女を亡くしてすぐに記した日記を転載し、いつまでも残しておきたいと思います。
  懺悔
  Date: 2003-05-27 (Tue)

それは、小学生英語の授業中だった。
私の授業の声を遮るように、携帯の着信音が教室に鳴り響いた。
ドゥービーブラザーズの軽快な着メロに、教室内の子供たちの間に笑い声が湧いたが、私は笑えなかった。
ディスプレーを見ると、見慣れない番号だった。胸騒ぎがした。
子供たちに一言謝り、慌てて教室を退出し、受信ボタンを押した。
違うことを祈ったが、今朝聞いた小鳥の病院の女医さんの声だった。
「残念ながら、お力になれませんでした…」



日曜日の夜、毎日そうするように4つの鳥たちのケージにセットしてある餌と水を入れ替えた。
このルーティンワークは妻がそれらを外し洗い、私が拭き、新しい餌を入れるのが常だった。
うちのケージはそれらを外すには、扉を開けなくてはならい。
オカメが4羽いるケージの一番人懐っこいちょこは、その際、必ずと言っていいほど手に乗ってきて、外に出たいとアピールする。
その日、私はその様子を見てはいなかったが、餌入れ、水入れを持ってきた妻の肩にはいつものように彼女が乗っていた。
異変は妻が気付いた。
「何かちょこ、元気がないみたい…」
見ると、彼女の可愛さを象徴するまん丸でいきいきと輝く目ではなく、閉じ気味で辛そうにしばつかせていた。
直ぐに異常を察した私たちは、病気の時のための小さなケージに隔離し、電球で28度前後に温度管理をしながら暖めて様子を見た。
しばらくすると、少し元気になったような気がした。
足元にばらまいた餌を食べようとしたが、食べられなかったようだった。
妻がその位置を食べ易いところに変えようとケージに手を入れたら、手に乗ってきた。
しかし、糞は鳥の危篤状態を示す、鮮緑の液体だった。

次の日、早朝から仕事のある妻を寝かせ、私は未明まで様子を見た。
ちょこは目を瞑り、眠ったり起きたりを繰り返していた。
あれ以降、餌を食べようともせず、暖かな電球のそばにじっとしていた。
様態の変化はないように感じた。
私は2、3時間ほどの仮眠を取り、起きて直ぐ様子を見に行った。
既に妻は出勤した後であった。
同じだった。

行き付けの鳥の病院は車で小一時間掛かる距離だった。
連れて行く途中、すっと28度に温度管理をするのは難しい。
はるかに近い、住まいと同市内にも鳥専門の動物病院があることを、私は知っていた。
そこに連れて行くことにした。

小さなキャリアにタオルのハンカチを敷き、彼女を入れ、保温のためバスタオルでくるんだ。
15分ほどで病院に到着した。
開院少し前に到着したが、既に先客がいたため、30分ほど待たなくてはならなかった。
時間がもどかしいほど長く感じた。
膝の上にキャリアを置き、両手で抱え、ちょこに話し掛けながら回復を祈った。

やっと私の番になった。
いくつかの問診に、いつから具合が悪くなったか?と尋ねられた。
「昨日の夜からです。」私は答えた。
触診に入り、キャリアから出すためにちょこを握った先生は開口一番に言った。
「具合が悪くなったのは昨日今日じゃないわよ!」
先生に指摘され、ちょこの胸骨を見た。痩せて、尖っていた。
「ガリガリじゃない!最近、体重はいつ測りましたか?」



懺悔する。ちょこへのせめてもの償いのために懺悔する。
今のマンションに引っ越してくる前、最低でも二週間に一度は全ての鳥たちの体重を計測していた。
それが、こちらに来てから… おそらく、一度程度しか測っていない。もう、二年近くの間に…

そればかりじゃない。
あの頃当然のように毎日必ず替えていたケージの敷き紙も、ひどい時には一週間に一度だけ。
当然のように毎日必ず与えていた青菜も切らしている方が長いまでになってしまっていた。
ベテラン気取りでホームページに小鳥について蘊蓄をたれている私の実態はこうなのだ。



返答に窮している私を無視して、彼女は強制給餌の準備を始めた。
手際よく乳鉢でパウダーフードを溶きビタミンを加え、そ嚢に直接給餌をした。
強制給餌を受け、ちょこは少し元気になった気がした。目の輝きにも生気が宿ったような気がした。
かすかながら、希望の光を彼女の目に見た気がした。

日に二度ほどの強制給餌が必要なので、私は迷わずちょこを入院させることにした。
先生は私の携帯の番号を聞き、「容態が凄く良いか悪いかの時にしか電話はしませんので、時々会いに来てあげて下さいね。」と言った。
言われるまでもなく、夕方、授業の合間にまた来るつもりだった。
それが、「お見舞い」ではなく、「お迎え」になろうとは…


ちょこを預け、家に戻り、猛省の気持ちで一杯になりながら、彼女のいたケージの敷き紙を取り替えようとして愕然とした。
そこには、あの緑色の液体の乾いた跡が無数に残っていた。
確か、これを替えたのは二日前の土曜日…
少なくともその頃から、ちょこは苦しんでいたのだった。
このケージに戻って来たら、もう二度とこんな可哀相な目には遭わせない… そう心に誓った。
誓ったのだが…



「お迎えにはいついらっしゃいますか?」
「これから直ぐ伺います」

幸いにも授業は終わる寸前だった。
子供たちに悟られないよう、必死に取り繕い、授業を締めて、車に飛び乗った。
ちょこに謝った。声を出して何度も何度も謝った。涙が後から後から溢れ出てきた。悔恨の気持ちで胸が締め付けられ、痛く苦しかった。
病院までどう運転して、どう行ったのかはっきりとは覚えていない。
扉を開けると、「お見舞い」をするために合流するはずだった泣き顔の妻、先生、そして診察台の上に白い箱があった。
傍らの線香からは煙が立ちのぼっていた。
箱の中を見るのがいやだった。悪い夢を見ていると思った。

でも、白い紙箱の中にちょこはいた。
先生の心づくしの花が周りに敷かれていた。枕もされていた。
横になって目を閉じ、眠っていた。 動かなかった。

大好きだった首元を撫でながら、謝ることしか出来なかった。
妻と二人で声を上げて泣いた。


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この事を記せば、鳥を…、いや、鳥だけでなく、コンパニオンアニマルを愛する全ての人たちのみならず、これを読んだほとんどの人たちから軽蔑されてしまうことは分かっている。
正直、隠したい気持ちもあった。
しかし、ちょこのためにも、罪を告白し、懺悔しなくてはならない。
そして、深く悔い改め、彼女の死を無駄にしないためにも、残っている子たちを大切にしていかなくては…。
冷たくなった彼女を両手に抱え、彼女の亡きがらにそう誓った。

  別れ
  Date: 2003-05-30 (Fri)
本日、午前中にちょこを埋葬してきました。
去年逝去した父、幼くして逝ってしまった兄、そして、一昨年亡くなったコバタンのりこ、オカメの初代ちょこが眠る場所に…

玉石をかき分け、穴を掘る間、初代ちょこの声が聞こえてきました。
『ボクの後で同じ「ちょこ」って名前を付ける時、パパ、使ってもいいかボクに聞きに来てくれたよね? その時パパ、その子を大切に育てるからボクの名前使わせてね…って言ってたのに…』

初代ちょこにも、動かない二代目ちょこにも謝りました… 心から謝りました。


ちょこの羽根はきれいなきれいなパールでした。
動かない身体、閉じた目以外はいつものちょこでした。
口をつぼめて「ぴぴぴぴ!」と鳴らすと、ちょっと怒ったように「ぴぴぴぴぴぴぴゅー!」と鳴き返していたちょこでした。
丁度身体が入るくらいに掘った穴に置き、周りに花を敷き詰めた後、「ぴぴぴぴ…」と言ってみました。何も言わないちょこにまた泣きました。謝りました。


ニュースでは無責任な親の事件が絶えません。
炎天下に子供を車内に独りにしてパチンコに興じる… 家に残し、旅行に行き餓死させる… 折檻、虐待をし死なせてしまう…
私はそういうニュースを聞く度に心底憤り、呆れ、軽蔑してきました。

私とどこが違うのでしょう。私も同類です。

ちょこを失わなければ、こんな事にも気付かない自分が情けないです。
代償としては大きすぎる、重すぎる彼女の命でした。


掌を合わせ、父にちょこたちのことをお願いし、りこと初代ちょこに一緒に遊んでくれるよう頼み、最後にちょこに、再度謝りました。

具合が悪いのを気付いてあげられなくてごめんなさい。
きっと、無念だったろうね。パパとママを信じてくれていただろうに…。
本当に、本当にごめんなさい。
パパもママもいつかちょこのところに行くから、もし、その時許してくれていたなら、また一緒に遊ぼうね。
それまで、りことちょこ兄ちゃんと、おじいちゃんとパパのお兄ちゃんと楽しく暮らしててね。
ちょっとの間だけ… またね、ちょこ…

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Produced by Choco & Y. Tsuchiya